人を愛しすぎてしまう人たちに祝福を

めいちゃんのブログです

「さよならだけが、人生だ。」

 

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なんか凡庸だった、というのが素直な感想だ。

今までの作品にあったような切迫感のようなものが抜けたとも言えるかもしれない。


私が初めてクラックラックスのライブをみたのは、1stEP『CRCK/LCKS』を出す直前の2016年1月だが、その時に感じたのは「混乱、混沌」だった。とにかく曲の中の展開が多い。まるで子どもがいきなり走ったり、泣き出したりするのをみているような感覚だった。双極性障害や(私の抱える)発達障害を持つ人の特性にも近い。考える間もなく音楽に踊らされる感覚があった。私のための音楽だ、と思った。私に向かって発されてるように感じていた。


『Temporary(vol.1)』は、そう思えなかった。アルバムを一通り聴いて、なんの強い感情も引き起こされなかった。ああそうなんだ、私ではない、誰かのための音楽なんだと思った。

 


何も悪いことではない。

きっとこのアルバムは、誰かの悲しみを掬い、誰かの寂しさに寄り添って、誰かの喜びと共にあるのだろう。かつての私にとってそうだったように。

 

はなにあらしのたとえもあるさ、

さよならだけが、人生だ。」

 

言いたいことがたくさんあるような気がしていたけど、言いたいことなんて全然なかったことだけが、私は少し寂しい。

 

私がついていけなくなるくらい、CMや主題歌に起用されて、あんな音楽はセルアウトだなんて文句を言ってバンドを嫌いになったりするのかななんて思っていたのに、こんなに穏やかな気持ちで心が離れるなんて、思ってもみなかった。現実は、想像より冷たいものなのね。

 


それでは、健闘を祈っています。少し遠くの地から、愛を込めて。

パン屋の彼女

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コンビニで好きなだけスイーツを買って、大学のラウンジで落ち合うのが私と彼女のお決まりのコースだった。


みかんの入った大きな200円のゼリーと、一番コスパのいいつぶグミ、あとは焼き鳥の皮。ファミリーマートでの豪遊はこれで完璧。私たちはお金がなかったから。


彼女は大学のサークルの先輩で、私がそのサークルをやめても仲が良かった唯一の人だった。

彼女は地元のマルイのパン屋で働いていた。私が本当にお金がなかった時、彼女からもらった廃棄のパンを食べて凌いでいた。私たちはいつもお金がなかったから、遊ぶ時は電車賃のかからないところで遊んだ。パン屋の時給が五十円上がった時、ほんとに喜んで報告してくれた。


彼女が使っている手帳はセーラームーン。『うる星やつら』のラムちゃん柄のを使ってた年もあった。可愛い絵柄の手帳には、荒っぽい字でびっしりバイトの予定が書かれていた。


フリルのついたワンピースを着て、髪色はピンクや金色だった。いっぱい本が入ったリュックには、セーラームーンのキーチャームと、なぜか文豪のキーホルダーがぶら下がっていた。一人で記念館へ行って、買ってきたのだと言う。器用ではないけれど、真面目な学生だった。私は、彼女が話してくれる授業の話が大好きだった。

 

 

彼女とは疎遠になって1年が経つ。

私が、辞めたサークルの悪口をLINEで言ってしまったからだと思う。数時間後にごめん、と謝ったけど、それは今になっても既読がついていない。

ほかにも理由があったかもしれない。そう言えば、私があけすけに自分のセックスの話をするのを、真剣にやめてほしいと言われたこともあった。

きっと、すれ違ってしまった。友達でいられる時間が終わったのだと思う。私が何かを改められたのなら今でも友達でいられた、とは思わない。きっと、いろんなことの積み重ねの結果だった。

 

 

 

コンビニのお菓子を食べながら、「めいちゃんとはずっとこんな感じで友達だと思う」と彼女が言ったのを、私は忘れられずにいる。そうだね、と笑った11号館のあの席まで、鮮明に。


夏の終わり、あなたがずっと好きだった人を、それを知っていた人に横取りされた話を聞いて、私は泣いたよね。高田馬場ベローチェで。あれから2年経つんだね。


いま好きな人はいますか?仕事はどうですか?最近は何の演劇をみたの?私はね、とっても大事な彼氏ができたよ。


あなたの住む街へこの前行ったんだよ、やっぱり随分遠いね、大学からは。今でもきっとあの街に住んでるんでしょう?就職したし、黒髪になってるのかな。


古着屋へ行くとあなたを思い出すよ。

初めて一緒に行ったカフェはつぶれちゃったよね、今どうなってるのかな。

あなたの好きなアイドルの名前を聞くたびに胸が痛むよ。カラオケで歌ってたね、間奏で色々説明してくれたよね。

正直あなたと行くことがなくなって、もうほとんどカラオケに行かなくなったよ。

 

 

 

もう取り戻せない色々なことのひとつが、あなたです。あなたの卒業式に、あなたの袴姿と一緒に写真を撮りたかった。届かないけど卒業おめでとう。届かないけれど、幸せでいてね。遠くから、インスタグラムのあなたの笑顔を眺めながら。

 

 

 

血の滲む身体で、あるいはルッキズムについて。

小学生の頃、父親の車に乗せられてついた先は大きな病院だった。

その頃のわたしはひどいアトピー持ちで、お風呂に入ればお湯が傷口に染みてよく泣いていた。

父は、診察室に入るなり娘を入院させてくれと頼み込んだ。私は何も聞かされていなかったから、大変驚いた。驚いたが、抗議することなく私はただ父親の隣で黙っていた。


その時、入院にこそならなかったが、私は父に言われるがままに色々な治療法を施された。

食事療法をはじめとして、苦い漢方を煮出して毎晩飲んだり、夜中に搔きむしらないように手袋をはめさせられて寝たりしていた。

当の本人はというと、病気を治すことにまったく興味がなかった。私にとって病気は物心ついたころからずっとあるもので、受け入れざるを得ないものだと思っていた。大根の葉を煎じて飲まされたりもしたが、それが効くとは微塵も思っていなかった。ただ、父親の言う通りにした。


肘の裏や首、脇なんかが常に荒れていて、よく服に血がついた。「血が出てるけど大丈夫?」と訝しげにクラスメイトに聞かれるのはまだいい方で、時には「感染る」と笑われたりしていた。


その言葉に、私は「傷ついた」とは思っていなかった。

ただただ、私の体は醜いのだなと受け止めた。

髪がさらさらで、かわいい文房具なんかを揃えてる女の子たちと私は、違う人間なんだと漠然と思っていた。(センスのいい女の子たちはどこで買っていたのだろう?未だに疑問だ。)

みんなHey!Say!Jamp!でどの男の子が好きかを話していたし、私はというとめっぽうその手の話題についていけなかった。

 

母親は、「私に似てあなたはスタイルが悪いけど、病気ひとつせずに丈夫ね」と言い聞かせて私を育てた。

今考えると小さい頃からずっとステロイドアトピーに効く強い薬)を処方してもらっていたのに、おかしな話である。しかし私はその言葉が真実だと思っていた。

醜い体だと思っていた。まぁそんなものかと諦めていた。

 

中学に入学し、私は戸籍を移すことでママ母のイジメから逃れた。そこからはまたDV地獄だったが、あっさりアトピーの症状が軽くなった。アトピーという病気は原因がまだはっきり分かっていないようだが、私の場合は「ストレス」がはっきり病状に出ていたと思う。

私が家庭で受ける理不尽と、その不平を言葉にできない分だけ、体に傷が出来て血が服に滲んだ。

 

昔の自分を思い出すと、今からは考えられないほど地味な服を好んで着ている。出来るだけ体のラインが出ない服。ピンクやフリルは絶対に着なかった。体が血だらけで、スタイルのよくない私は、「女の子の服」を着てはいけないと思っていた。

 

私を救ったのは、服だった。

地元の服屋に通うようになると、店長のお姉さんが顔を覚えてくれて、色々と服を勧めてくれた。

似合わないと思いながらも彼女の勧めで少しずつ女の子らしい服を着てみる。マニッシュなジーパンしか履かなかった私が、ちょっと体のラインが出るような服を着てみては「意外とサマになるな」と鏡の前で納得して、女性らしい服もちょっとずつ挑戦できるようになった。

派手に脚が出る真っ赤なミニスカートなどは、彼女が褒めてくれるから買えたのだ。

ヒールを履けば、びっくりするほど脚が長く見えるし、体型に合った服を着れば自分の体の見え方もがらっと変わった。


お母さん。あなたは私のことをスタイルが悪いと言っていたけれど、あなたと私の体はどうやら違うみたい。

あのね、私はね、自分の体を醜いとは思わなくなったよ。


実はアトピーは完治してなくて、まだ血が出たりする。でも私は自分の体が好きになった。


今日、ジェルネイルを買った。

幼い頃、爪が伸びていると傷が増えるから、と深爪すぎるくらい短く切り揃えられていた自分の爪がずっとずっと嫌だった。朝起きると指と爪の間にべったり血がついている。

でも、あるとき爪を伸ばしてマニキュアを塗れば「可愛い女の子の手」になれると気づいてから、たくさんの色のマニキュアを集めた。鮮やかなピンクやブルーを塗ったら、全然違う自分になれたように思えた。


私はまだ、病気とともに生きている。

 


自撮りを上げればブスとなじられたり、太ってるだのなんだの言われたりもするけど、あんまり人の声が気にならなくなった。

人が私の容姿をどう言うかは、私の体を損ねたりはしないって、少しずつ思えるようになったよ、だいぶ時間をかけてね。

 

私は、病気とともに生きている。

病気とともに生きてゆく。

呪いの言葉を吹き飛ばそう。

君は綺麗だ。私は美しい。

誰が何と言おうと君の美しさは損なわれない、絶対。

もし一人で呪いを解けないのなら、

私が手を貸すよ。


君の自傷の跡でいっぱいの腕を手繰り寄せよう。

ママやパパに言われた心無い言葉に泣かないで。

褒めてくれる愛おしい友人の言うことに耳を傾けてよ。


街ですれ違う俯いた子どもたちに微笑みかけよう。

一輪の花を持ってバスに乗りこむおばあちゃんにも微笑みかけよう。

いつか君にもきっと微笑みかけるよ。

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「パパ活」をしたい彼女に宛てて

パパ活をしたいけど、周りが止めるのでやめた」 

という、ある学生の意見が授業で読み上げられた。

フェミニズムに関連した授業だった。

 

パパ活とは何かという説明は省くが、いわゆる愛人契約である。

これは今に始まったことではない。「現代の女性は~」などという論は的外れだ。

昔からある形態に「パパ活」という新しい言葉がついただけのことである。

 

私はフェミニストだ。

女性が「娼婦」「売女」などと長い間なじられてきたことに私は対抗したい。(そして未だにそのような言葉はこの世の中にはびこっている。)

私が“Sexwork is work”という考え方を知ったのは大学に入ってからだった。

パパ活は(表向き「セックスをしない」ということになっているので)厳密にいえばセックスワークではないが、

水商売やセックスワークなどいわゆる夜の仕事に従事する権利が女性にはある。

セックスワークは立派な仕事なのだ。

(2019年にもなって、こんな当たり前なことを言わなければいけないことに頭を抱えるが。)

冒頭の彼女の言葉にもあるが、そりゃあ「周りに止められる」だろう。

だからあえて私は彼女に言いたい。「チャレンジしてみなさい」と。

周りのくだらない意見なんて聞くな。

 

もう一方で、私は彼女に細心の注意を払ってほしいとも思う。

「私はおじさんが好きです。年上の人によく好かれるのです。好かれるのは単純に嬉しい。あと経験豊富な人と話せるのも楽しいし、それで金銭を受け取れるならラッキーだ」

とも彼女は書いていた。思わず、うーん…と唸ってしまった。

私も同じだ。年上の人によく好かれる。学生と付き合ったことなんてほぼない。

ただ、いつも考えてしまうのだ。

「私のような年下と話して、この人たちは何が楽しいのか?」と。

 

「俺の彼女、大学生なんだよね~」と自慢する年上の男を腐るほどみてきた。

ひどい話だと、「JK」とどんなにヤっているかまで。

※JKという言葉は出会い系サイトで隠語として大人の男たちが作った言葉なので私は極力使いたくない。

 

一般論を言う。若い女に手を出すような男は危ない。

「女は若ければ若いほどいい」と考えている節がある。

どうして彼らは同年代の女性に相手にされなかったのかを想像してみてほしい。

自分より未熟で、モノを知らない人間には付け込めると考えている傾向がある。

 

一般論を言う。女を金で買う男はやばい。

金を出して自分の気持ちいい言葉ばかりかけられる経験をしていると人は認知がおそろしく歪む。

彼らはいろんな言葉をすり替えてより安価にセックスをさせろと言ってくる。

時には「俺のこと好きなんだからタダでこれくらいいいじゃん」と言うし、はたまた「こんなに払ったんだからこれくらいしろよ」と言う。

 

 

「自分はなぜ年上の男性に好かれるのか?」を考えてほしい。

「ほかの子より自分は大人っぽいから」「ほかの子より知的な会話ができるから」

違う、違う。

君が「女子大生」だからだ。

 

私もそうだった。私も、同年代の子と違って大人にちやほやされるのがたまらなく好きだった。

年上の人と話して、知らないことをいっぱい知れるのが楽しかった。

でも今は、「若さ」を脱ぎたくてしょうがない。

「若いのにすごいね」「やっぱり君はほかの子と違って賢いね」と言われ続けていると、

自分の中で「若さ」が自分の大きな武器のように刷り込まれてしまう。

私はまだ、そこから抜け出せずにもがいている。

 

パパ活」で、相手と対等に渡り合うことは、おそろしく難しい。

きみが金銭を受け取って対価として差し出しているのは何か?

時間でも体でもない。

「ほどよく賢くて、若くて未熟なかわいい女」を演じることである。

それがおじさんにとって「育てがいのある」女だ。

最初から対等なんてないのだ。

 

この社会にジェンダー平等なんてものが達成されない限り、

パパ活という「個人契約」において「年上」の「男性」と対等に渡り合うのはひどく難しい。

だいたいあるのは「搾取」である。

 

もし、金が欲しいなら店舗がきちんと守ってくれる風俗をやることをおすすめするし、

年上と話したいのだったらガールズバーやキャバクラがいい。

 

 

私も周りにいろんなことを言われたけど、結局水商売もやったし、パパ活もやってみた。

だから最初に言ったように、チャレンジしてみればいいと思う。

たまにとんでもなく「人に金を払わせる」才能のある子がいたりもするし。

 

 

チャレンジしてみて。でも、気を付けてね。

彼女の検討を祈っています。

 

 

 

男に依存するのをやめられなかった女の話


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その日の晩、「好きだ」と言われて、同じ言葉を返せなかった。

何度言われても、私は言い淀んでいた。

 

知っていた。その「好き」という言葉がいかに確信をもったものかを。

知っていた。わたしにも同じ覚悟を返してほしいと思っているということを。

知っていた。その言葉を発する人間の純粋さを。


だってそれは、今まで自分が好きな人にしてきたものだったから。

 

しかしその晩、私の頭の中では、

「だってまだ会って間もないし」

「そんなにお互いのことを知らないのに」

と、あまりに陳腐な考えが渦巻いていた。

ひどくびっくりした。

そんな「言い訳」は私が一番嫌ってきたものだったじゃない。

順序とかセオリーとか、あんなに馬鹿馬鹿しいと思っていたのに。

 


プリンセスストーリーに憧れて育った。

VHSが擦り切れるまで繰り返し繰り返し再生した。

一目見ただけで、運命の人だと分かるのだとディズニーは私に何度も繰り返し教えた。信じれば夢は叶うのだと。優しさや正しさを持つものはいつか報われるのだと。

千田有紀先生の授業を受けている友達には

「え、お前それロマンティック・ラブ・イデオロギーじゃん!」と笑われた。

私は、フェミニスト失格なんだと思った。

 

ドライブデートしようと約束した中野のあの酒場。

一緒に住みたいねと話した神楽坂のカフェ。

酔っ払って本当にすきだと言われたタクシーの帰り道。

ずっと好きだよと言って抱きしめた寒くて狭い部屋。


全部、ぜんぶ嘘になった。


果たされない約束に悲しむくらいだったら、と思って

私は約束事をしなくなった。

自分の言葉がいつか嘘になってしまうのが怖くて人に好きだと言えなくなった。

たくさん男の人に傷つけられて、たくさん、傷つけて、

私は「大人」になろうとしていた。


私はただ恋愛がしたいだけの女なんじゃないか。

目の前の人のことなんてどうでもよくって、男に依存したいだけなのではないか。

近頃はそんな風に思っていた。

もう、もうやめたかった。

悲しむのも、苦しめるのも、もうこれ以上。

 

 

だから、まっすぐな目で好きだと言われて私はたじろいでしまった。

あなた、そんな気だるい服着て、恋愛なんて興味ないなんて顔をしてたのに、

困っちゃうじゃない。急に、そんな…。

 

 

 

 


みんな私のこういう話はもう聞き飽きたと思うんだけどね、

私はね、結局やめられなかったの。

だから彼のことを信じることにするの。

誰かのことを好きになる自分自身の力を信じることにするわ。

男に依存するのがやめられないなんてフェミニストじゃないって笑えばいいわ。どうせ幸せになんてなれないのにって笑えばいい。

確信があるの。

これは、とても言葉では説明できないのだけど、確信があるのよ。

私、幸せになるの。

 

 

 


あのね、これだけは言いたい。

依存は悪いことじゃない。

馬鹿みたいに人を好きになってはしゃぐことも、

疲れきるまで何かにのめり込むことも、

全部、悪いことじゃない。

何かに依存しないと生きられないすべての人の味方でいたいんだ。


ねぇ、ハッピーになろうね。

不健康だって、間違ってるって人に笑われても、生きてこうね。

ハッピーになれるよ。大丈夫だよ。

君がきょう一日を乗り越えることがどれだけ大変なものだったのか

私だけは分かっていたいよ。

 

 

私の人生、映画のような人生にするから、みんな信じてほしい。

この世に希望はあるんだって、証明するから。

今日を乗り越えた先には未来があるんだって、

みせてみせるからさ、お願い、きみの美しさを捨てないで。

人を信じることや、未来を想像する力をどうか手離さないで。

だから、もう少しだけ待っててね。

それでも、救いたい人がいるということ

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電車の中で泣くのが趣味だ。

家に帰ったら泣こう、とか

トイレで泣こうなどとは思わなくなった。

泣きたい瞬間が多すぎるから、

泣きたい時にすぐ泣くことにした。


東京の街が好きだ。

泣いても誰も咎めない。見て見ぬふりをしてくれる。

だって、みんないろいろあって大変だものね。

目の前の人を救うほどの余裕はないし、

目の前の人を救うことがどれほどに難しいかをみんな知っているのでしょう。

きっと、みんなそれぞれに苦い経験を伴って。

やるせなさが漂うこの街の匂いが好きだよ。


少なくとも、ありがた迷惑な自信に巻き込まれるよりかはずっとましだ。


私はあなたの人生を背負えない。

あなたも、私の人生を救えない。


心配をありがとう。

「元気出して」とか、月並みな言葉を言うのなら少しは躊躇ってくれるとありがたい。

「大丈夫?元気?」と聞かれると「大丈夫、元気だよ」と少し嘘をつく。

君を安心させるためだけにつく嘘のたびに私の何かが少し削れる気がする。

お忙しいところ恐縮です。まず私は元気でいたくない気分なので、大丈夫じゃない私をそのまま愛してくれれば幸いです。

 

それでも電話がかかってくる。

君から電話がかかってくる。

まぁ元気出せよと君の声。

そうねぇと空っぽな声で返事をする。

笑わせようととぼける君に、元気なフリをして笑ってみせる。

何も言えないから心の中で何度も謝る。

理想の女の子になれなくてごめんなさい。

ごめんね。もう、電話切るね。

 

中央線に山手線、銀座線、東横線

泣いたことのある路線でスタンプラリーをしている。

大江戸線はまだだから、そこで泣けたらラッキーだ。


人の人生はそう簡単には救えないよ。

僕らはびっくりしちゃうくらい無力なんだ。

自分の人生を必死に生きるしかない。


それでも、それでも、救いたい人がいる。

こんなにどうしようもない世界で、私は君のことを心配している。

その後、病状はいかがですか?

心無い上司の言葉なんて忘れてほしいよ。

ひどいことを言う彼氏なら別れちゃえばいいのに。

そんなに手首を切ったらシャワーが染みて痛いでしょう。

最近はどうですか。眠れてますか。

出来ることなら、君には危ない仕事はしないでほしいと思ってる。

だってそんなにたくさん薬を飲むのは心配になっちゃうよ。

君の好きなようにしたらいいと思ってるけどさ…。


これは私のわがままだけれど、

ただ、穏やかに暮らしてほしいんだ。

君を傷つける人がいることが許せないよ。

君には幸せでいてほしい。


君の優しすぎるところが好きだ。

人のことを気遣いすぎて悩んでしまう君の不器用さが、本当に好きなんだ。

君の静かな信念を、私だけは理解していたい。

君は綺麗だ、とびきり美しいよ。

私は君への賛歌をずっと捧げていたいんだ。

君が大好き。

それだけを祈りながら私は眠る。

ただ君のためだけに私は在るんだよ。

平坦な言葉しか出てこなくてごめん。

でも、本当にそう思っているよ。

君に少しでも届いたらいい。

一緒に夜を乗り越えよう。

 

 

 

縹色の手紙

なんできみが死んだの。死ぬなら私の方だったじゃない。


また季節が冬にぶり返している。

コートを首元まできっちり締めている

ショーウィンドウに移る自分の姿を見て、

Kちゃんのご両親のことを思った。

焼香もろくに出来ず、遺影の前で泣きじゃくった私を

ご両親はどう思っていたのだろうか。

何も変わらない小娘だと思ってうんざりしているだろうか。

娘に会わせたくないのかもしれない。

それとも、私のことはもうお忘れでしょうか。

 

冬の日のきみを思い出している。

雪が降った日、私が「外見て!雪だよ!」とメールを送ると、

きみからもまったく同じタイミングで「雪降ってきた!」と

メールが届いたときがあったね。

雪が降るたびに思い出すよ。

きみのことを、繰り返し繰り返し、思い出すんだ。

 

きみは、私の大きな大きな希望だった。

きみからもらった言葉や、ぬくもりや、愛を支えにして、

私はなんとか生きてきた。

きみに別れようと言われたあの春、あの皮肉なほど鮮やかだった春から、

私は数年間かけて、きみと離れて生きることを受け入れた。

きみはきみ自身の、わたしは私自身の人生をそれぞれ歩むんだって、

ようやく受け入れられるようになったころだった。

きみと私が関係のない人になるんだということを分かるまでに、

だいぶ時間がかかったよ。

それなのにいま、「訃報」ってなんなのよ。

 

どうしたらそんなに賢く、優しくなれるんだろうといつも思っていたよ。

本当に尊敬してたんだ。きみより優秀で、魅力のある人間を私は見たことない。

これはきみが死んだから言ってるんじゃないんだ。

知ってるでしょう、わたしはきみのことをもう6年もずっと好きなんだよ。


きみが死んでから、わかったことがいくつかあったんだ。

友達にきみの話を聞くと、みんな褒めるばっかりでびっくりしちゃった。

みんな一様に尊敬の眼差しだった。

私はきみを尊敬しているとともに、きみの弱さも知っていた。

きみがくれたものは本当にたくさんあったけど、

私がきみにあげたものもいっぱいあったんだと思う。

弱音を吐く姿や、見栄をはるとこも好きだったよ。

きみはいつでも可愛い人だった。


今日はね、新しいメンタルクリニックに行ったよ。

待合室にいる人たち、みんな病気とか障害なんだって思って

ちょっと怖くなっちゃったよ。

受付のスタッフの人が嫌に猫なで声で話すから、

それも居心地が悪くって。


きみは、神経科に通うのを嫌がってたね。

自分の病気が、まるで自分の弱さを証明しているみたいって。

あたし、きみの強がりなところも好きだったな。

「だって試験管3本分くらい採血するんだよ!?」って

どれだけ嫌か説明してたね。

まるで子どもみたいな瞬間があったよ。私は本当にそういうきみが好きだった。

 

きみに聞かせたい話が4年分あったし、きみに聞きたい話が4年分あったよ。

わたしは大学に入ってからいろんなことをしたんだ。いろんな人と会ったよ。

喜んで話を聞いてくれるきみの顔が浮かぶんだ。

きみを連れて行きたい場所が、きみに聞かせたい音楽がたくさんあったよ。


ねぇ、傲慢だと思うんだけど、わたしはね、

なんできみと違う場所で生きているのか意味が分からなかったし、

きみの人生に絶対にわたしが必要だと信じて疑わなかった。

もちろん、私の人生にもきみが欠かせないと思っていた。

きみと一緒に過ごせないこの1秒1秒が惜しいと思っていた。


でもそんなことを思ってるのは私だけで、

結局のところ私はずっと片思いだったのかなと

近頃は思っていた。

 

だから、きみが周りの友達に私の話をしていると聞いて嬉しかった。

「私の人生の中にめいちゃんがいないのは、何か大きなものが欠けているような気がする」って言ってたって。

嬉しかったよ。

私たちはあのとき、もうどうにもならなかったけど、

それでもきみがあの頃のことをなかったことにしてないと知って、嬉しかった。


苦しかったね。

あのとき、苦しさと喜びと悲しさが一気に私たちに訪れて、

ほとほと私たちふたりは疲れてしまった。

途方も無いほど傷つけあって、それでも一緒にいたかった。


別れたあとも、私の中にきみの言葉が生き続けていたし、

そばにいるような感覚があったよ。

いつか、私が幸せに暮らしていることが風の噂で届けばいい。

きみが結婚したことや、子どもが産まれたことなどが

なんとなく知れればいいと思っていた。

きみの幸せをずっとずっと願っていた。

それは償いだったし、純粋な愛であった。

きみを愛していたよ、あぁ、久し振りに言うから照れるなぁ。

幸せに生きてほしかった。

いつかきみにもう一度会えたら、とびきり素敵な人になって会いたいと思っていた。

 

それがこんなに早く。

冷たくなったきみに会うなんて。